一月一日元旦は、前日と特に変わったわけではありませんが、何となく嬉しい気分になるものです。
ところが、とんちで有名な一休さんは、墓場で拾った「しゃれこうべ」に竹の棒を差し込んで、それを振り回しながら、「この通り、この通り、ご用心、ご用心」と大声でわめきちらし、京の都を歩き回ったそうです。一休さんは、決して嫌がらせをしたのではありません。正月に、めでたいめでたいと浮かれてばかりいる人に向かって、「大切なことを忘れていないか」というメッセージを送ったのです。
また、次のような歌も残されています。
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
門松(正月に立てる松飾り)は、死に向かう旅の、一年毎の目印だというのです。ですから、正月を迎えたということは、また一年、死に近づいたということなのです。その意味から言えば、めでたくないのかもしれません。しかし、いつ終わってもおかしくないこのいのちを、今年もめぐまれたということは、やはり、めでたいことなのです。
一年の初めに、今年もめぐまれた、この尊いいのちをどう生きるか、仏さまの教えを聞く中で、考えていきたいと思います。
合掌
龍谷大学非常勤講師 小池秀章