心に残る一言

今、世界中で、「自分さえよかったらいい」という自己中心主義を、「良し」とする風潮が高まっているように思います。「人間は皆、自己チュー(自己中心)だから、しかたがない」と開き直る人もいます。そんなことではダメだと分かっていても、その流れに逆らえずにいる私もいます。
仏さまの教えを聞くと、常に自己中心にしか物事を見ることが出来ず、自分にとって都合のいいものを求め、自分にとって都合の悪いものを排除している、そんな私の姿が見えてきます。
仏教では、そのような存在を「凡夫(ぼんぷ)」と言います。「凡夫」とは、文字通りに受け取れば、「平凡な人」という意味ですが、仏教では、「煩悩だらけの愚かな人」という意味で使います。「愚かな人」と言っても、普通に言う「愚かさ」ではなく、「真実が見えていない愚かさ」のことです。つまり、仏さまの教えを聞けば聞くほど、自己中心の見方から離れられず、「自分さえよかったらいい」と思ってしまう私の姿が、見えてくるのです。
では、そのような私たちは、どのような生き方が出来るのでしょうか。立派な目標を立てても、それをなかなか実現できないのが、私たち凡夫です。しかし、「凡夫だから」と開き直るのではありません。
2013年(平成25)年立教開宗記念法要(春の法要)でのこ親教で第二十四代大谷光真ご門主様(当時)は、
「凡夫という自覚は、言い訳の言葉ではありません。『ともにこれ凡夫』として、自分を認め、他人を認め、支え合いたいものです」
と述べられています。
「ともに凡夫」という所から、出発したいと思います。
合掌

龍谷大学非常勤講師 小池秀章