「さとりとは、煩悩が無くなった状態だと言うけれど、煩悩が無くなったら、ボーッとした状態になり、何もする気が起こらないのではないだろうか」
私は、学生の時、このような疑問を持っていました。そこで、ある先生に質問しました。すると、
「そうですなあ。『煩悩が無くなる』と言うより、『煩悩でなくなる』と言った方がいいでしょうなあ」
と、答えてくださいました。
さとりの境地とは、『煩悩が無くなる」と言っても間違いではないのですが、それは、「何かをしようという思い」がない、空っぽな状態ではありません。自己中心の心から離れられず、自分の欲望を満たそうという思いが、自らを煩わし悩ますので煩悩というのであって、自己中心の心を離れた所から出て来る「何かをしようという思い」は、煩悩ではないのです。
例えば、「人を助けたい」という思いも、「自分の好きな人だけを助けたい」という自己中心の心から出て来たものは煩悩ですが、「すべての人を助けたい」という自己中心の心を離れた所から出て来たものは、煩悩ではないのです。
つまり、さとりとは、「何かをしようという思い」が無くなった状態ではなく、自己中心の心を離れた所から出て来る「何かをしようという思い」が、どんどん生まれてくるような境地であり、それが、『煩悩でなくなる』という状態なのです。
さとりを開いた仏さまを仰ぎながら、この人生を歩んでいきたいと思っています。
合掌
龍谷大学非常勤講師 小池秀章