身近な人が亡くなられると、それをどう受け止めたらいいのか分からず、悲しみにくれることがあります。私たちは、亡き人をどう受け止めたらいいのでしょうか。
一般的には、亡き人が迷わないように、そして、いい所に行けますようにという意味で、お経を読んだり、お念仏を称(とな)えたりしていると思っている人が多いように思います。しかし、浄土真宗では.そのようには捉えません。
まず、「亡き人=迷っている人」とは受け取りません。迷っているのは、亡き人ではなく、「亡き人が迷っていると思っているその人」なのです。
浄土真宗に生きる者にとって、亡き人は、仏(阿弥陀如来)さまのはたらきによって、浄土に往き生まれ、仏さまとなり、今度はこの世に還ってきて、私たちを真実に導くはたらきをしてくださる方なのです。
「人は去ってもその人のほほえみは去らない
人は去ってもその人のことばは去らない
人は去ってもその人のぬくもりは去らない
人は去っても拝む掌(て)の中に帰ってくる」
(中西智海『ひととき-私をささえる言葉』より)
お念仏に生きる者にとって、死は永遠の別れではありません。
手を合わすところに、亡き人と会える世界があるのです。亡き人が、仏さまのはたらきと一つになって、私たちの所に還って来てくださる。そんな世界に出遇えたことを嬉しく思っています。
合掌
龍谷大学非常勤講師 小池秀章