上の歌は、九條武子さんが詠まれた歌です。武子さんは、明治21年、西本願寺第二十一代宗主明如上人の二女としてお生まれになりました。兄は、大谷探検隊で有名な大谷光瑞氏です。
私が、この歌を聞いてすぐに思い出したのは、孫悟空のエビソードです。お釈迦さまに自分の力を見せつけようと、觔斗雲に乗って、天の果てまで飛んでいき、そこに立っていた5本の柱に、ここまで来た証拠の文字を残します。そして、お釈迦さまの所まで戻り、天の果てまで行って来て、その証拠に文字を残してきたことを告げると、実は、その五本の柱はお釈迦さまの指だった、というものです。いかに反抗し、好き勝手に飛び回ったと思っていても、所詮は、お釈迦さまのみ手の中に過ぎなかったのです。
私たちは、真実のはたらきの中に包まれ生かされているにも関わらず、それに気づかず、真実に逆らう生き方しかできていません。常に自己中心の心から離れられず、「自分が、自分が」という小さな世界を創り出し、その中で、他人を傷つけ、自分も傷ついて生きているのです。そんな私たちを、真実に導いてくださる真実そのもののはたらきが、仏さまなのです。
武子さんの歌を通して、真実(仏さま)につつまれ、真実(仏さま)から、よび続けられている身でありながら、それに反抗する生き方しかできていない私を、見つめ続けたいと思います。
2月7日(武子さんのご命日)には、毎年本願寺で、「如月忌」の法要が勤められています。
合掌
龍谷大学非常勤講師 小池秀章