幸せとは何でしよう。ある人は、
「自分が幸せだと思ったら幸せ」
と、答えてくれました。そのような面もあると思いますが、それが、すべて本当の幸せだと言えないと思います◦
例えば、他人(嫌いな人)の不幸を、私が幸せだと思ったら、幸せなのでしようか◦確かに、私にとっては、他人の不幸を幸せに感じることもあるかもしれませんが、それは、本当の幸せとは言えません。
浄土真宗の僧侶であり、長年、小学校の校長先生をされていた東井義雄さんは、
「幸せのどまん中にいるのに幸せがみえない」
という言葉を残されています。「幸せを幸せと見ることの出来る眼」を持たなければ、どんなに幸せな状況にあっても、幸せだと感じることはないでしよぅ。
この「幸せを幸せと見ることの出来る眼」とは、単に自分が幸せだと見る眼ではなく、真実を見る眼、つまり、仏さまの眼のことです。仏さまの眼から見たら、今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなく、有り難いことだったと気づかされるのです◦
仏さまの眼から見たら、どのような世界が開けてくるのか、それを聞かせていただくことによって、本当の幸せが見えてくるのです。
合掌
龍谷大学非常勤講師 小池秀章